2012年3月4日日曜日

ダウンタウンとストリートチルドレン



私がナイロビのスラム街(ある意味ダウンタウンさえ超越している)場所で生活していると思うことはたくさんあります。



まずナイロビについて説明します



ナイロビは基本的に4つの地区にわかれています。

1つめは東アフリカ経済の中心地ともいえる市街地(タウン)

2つめは高級住宅地区のウエストランド地区

3つめはタウンの北と東に接している商業地区と庶民の居住地(ダウンタウン)

4つめはダウンタウンの東から南である工業地帯



地球の歩き方によれば

ダウンタウンは最危険地域で絶対に立ち入ってはならないとあります



実際

治安は悪い

この前ケニア人の友人と歩いていたところ彼女は後ろから来た男にネックレスをひったくられていました

日本にいれば当たり前にひったくりを見ることなんてまずあり得ないので、普通に白昼の市街地でひったくりを目の当たりにした時は衝撃でした



そんな殺伐とした都市の雰囲気もさることながら

最も考えさせられるのはストリートチルドレンの多さ



私は去年の夏に1カ月カンボジア(プノンペン)にいったのですが、そこでも悩まされたのがストリートチルドレンに対する反応



日本で普通に生活していて、3歳くらいの子供が手を出してお金をせびってきたり、路上で倒れこんでいたりするのを見かけるでしょうか



ケニアやカンボジアといった、発展途上国とイメージを持たれている国々の首都を訪れると、実際にはイメージとは全く異なる現実を目の当たりにします。経済が急速に発展していて、若い労働力に満ち溢れている。発展途上、という言葉自体が似つかわしくないほどに11秒発展している。しかしながらその発展の陰にはストリートチルドレン、汚染、衛生知識不足、伝染病、福祉が整備されてない、など経済的発展に比例するかのようにその社会が抱える問題も多様化している



急速な発展により社会が混沌とする中で



その社会が抱える問題を最も体現している、といっても過言ではないのが「孤児院」という場所(本当はこの表現をつかいたくない)だと思います



私が研修している施設の子供は親がHIV患者であったり、罪を犯して刑務所に収容されていたり、貧困により育てられないなどさまざまな事情があります



ただ2カ月研修してだけでは彼らの人生にプラスの影響なんて与えられるわけがないし、せいぜい今自分ができることと言えばこの孤児院に募金を集めること、一部の経営者だけでなく多くの人に平等に支援金を分配する制度を作ること、子供の世話をして、限りある時間で精一杯愛を注ぐことくらいしかありません



だから、ただ労働力を提供するだけでなく、企業やNGOに行ってこの孤児院に募金や衣服、洗剤を提供してもらえるように渉外に行こうと思います



子供の衣服がボロボロであったり、汚い雑巾で掃除していたり、衛生面で見ていられない部分が多いので、企業にいって無償で提供していただけるようお願いするつもりです



 なんだか真面目な日記になってしまいましたが、ケニアに来て実際に貧困を目の当たりにすると感じることはたくさんあります

今度は休日の過ごし方について書きます!

では!

2012年2月18日土曜日

支援をもとめる形

 


 
アフリカ生活10日がすぎました!
どこでも生きていける私はすっかりその生活にも慣れ()、とてもEnjoy してます!

ではまず、私の研修先で率直に感じたことを紹介します。

Imani baby unit
基本的に0歳から3歳までの赤ちゃんが生活しているのですが、とってもかわいい!
年齢別に4つのグループに分かれています。
仕事は朝8時から16(でも18時近くまで残される…)までしっかりあります!
朝はミルクづくりに始まり
赤ちゃんを起こし、ミルクを与える
そしておまる()につれていき
排泄の処理をします
そして昼ご飯を与えて
おまる()につれていき
昼寝させ
掃除し
赤ちゃんと遊び
いつも間にか夕方になっている感じですw
とにかく仕事が多い!明らかに人手不足です


このImani children house には基本的に、わたしのような「ボランティア」と住み込みで食事つきの職場を求めた「出稼ぎ労働者」と「経営者」が働いています。

Imani children houseKayoleというスラム街にあり、貧困層が生活しています。正直に言うとhomeの外をでると、とてつもなく治安が悪いです。カメラを出して写真を撮ることさえ難しいです。日本人である、ということだけで凝視されものを売りつけられたり、バックを引っ張られたりします。

「どこまでも、どこまでも広がるスラム街」エバリンという名の出稼ぎ労働者の女性はこう述べていました。スラム街では仕事も食事もない、でもこのhomeに来れば仕事もあるし食事もついてる、だからわたしはここで働いているの、と述べていました。


「どこまでも広がるスラム街 Kayole







「カメラを向けるとポーズをとってれる子供たち☆」






Imani children houseはケニアだとわりと有名な乳児院で、多くの人が視察し、援助しに来ます。

なかでも考え深かった話をひとつ
スーツを着た男性二人組がカメラを持ってImani children Houseにやってきました
そこでDirectorの女性(ここを総括している人)が彼らを案内していたのですが
我々職員に放った一言が…


「あの痩せた、エイズの子を連れてきて」
運ばれてきたのは
管を通され見るからに痩せ細った子供

それをひたすら写真に収めるスーツの男性
そして自分たちは慈善活動をやってるんだ、と力説するdirectorの女性

なんかこれって違うんじゃないかと
わたしは思うわけです

でもこれって先進国が行っている慈善活動の姿勢の縮図だと思うんですよね
飢えたこどもたちのポスターをはって支援を求め、私たちはこんなに素晴らしいことをやっている、だから支援すべきだと。

まさによくある手法ですよね

この人たちかわいそうでしょ?だから私たちが助けなきゃ、という慈善という名目の裏に隠された醜い感情。もちろん私が発展途上国の支援にかかわりたいと思って研修に参加した動機の裏に、このような感情が隠されているのは否めません。

ケニアの乳児院で研修し、あらためて「支援を求める形」を考え直す必要がある、と痛烈に感じました。

世界が当たり前のように支援しあえる世の中になったらいいのにな、と現実的にはあり得ない構想しかできずに自分の無力さを感じる今日この頃です。
ただ労働するだけでなく、Imani children house の経営方針や「支援を求める形」にどうやって自分が変革をもたらすことができるか、ということが、いま自分が解決できる直近の課題なのかもしれません。

次は、スラムをみて自分が実際に抱いた感情について書こうかと思います

2012年1月21日土曜日

研修先ってこんなとこ!

はじめまして。慶應義塾大学経済学部1年の宮村綾香です。(試験期間中に大学の図書館で執筆中…まわりが勉強してる中、地球の歩き方東アフリカ編を広げてわくわくしながらブログ書いてますw、と、とってもアウェー…)

この春、Imani children homeというケニア(ナイロビ)の孤児院で2月7日から3月27日まで研修を行いなます。個人的には「孤児院」という言葉が嫌いなので、これからは「幼児施設」という表現を用いたいとおもいます:)

ではまずケニアってこんな国!

どん!

最初にアフリカの地図!
ケニアの大陸はもちろんアフリカ大陸!Afro!fuooooooooooooo!☆

日本人の大学生にとってアフリカの印象ってなんなんでしょ?
熱い、貧しい、黒い、未知数…とか
もはや行ったことも、周りにアフリカ大陸出身者もめったにいないからわかりませんよね!っていう(本音) 私のブログ執筆の目的は日本の大学生に正しくアフリカについて理解してもらい、なにができるのか考えるきっかけを持ってもらうことなので、一緒に正しい知識をつけ現状を知っていきましょう><

ではではケニアの地図!


【民族】
ケニアはアフリカ大陸の中で東にあり、ソマリア、エチオピア、ウガンダ、タンザニアに隣接し、キクユ族、ルオ族、カンハ族、マサイ族など多彩な42部族で構成されています。
ナイロビ周辺を生活圏とするキクユ族が人口の5分の1ほどをしめ、そのほかビクトリア湖周辺に住むルオ族、タンザニアとの国境周辺に住むマサイ族、そのマサイ族と同じ牧畜民である北部のツルカナ族、サンブル族、ソマリ族、海岸地方に住むスワヒリ族、マチャコス周辺のカンバ族などです。
しかし多様な民族で構成されているので、民族対立はしばし生じます。
最近では、2007年末の大統領選挙の結果を巡り、キクユ族とルオ族の対立が激化し、キスムというルオ族の中心地(ビクトリア湖沿岸に位置する美しい都市)でキクユ族の虐殺事件が生じてしまった過去があります。
(日本にも少数民族が存在するので語弊が生じるかもしれませんが)ほぼ単一民族国家に属す日本人の感覚からすると、東京の人と埼玉の人が対立して埼玉で東京出身者の虐殺が起こるようなものです、考えられないですよね。
ものすごく簡単な言葉で民族の問題について片づけてはならないと思うのですが、『民族意識』は歴史、文化、宗教に基づき、その人のアイデンティティを構成している非常に重要なものの一部なので、民族間の対立解決は当然難しいと思います。


【言語】
国語はスワヒリ語
そのほか42の部族語も話されます。
しかしながら公用語は英語。
なぜならイギリスの植民地であった過去があるからです。
小学校の時に「なぜアフリカ大陸ほとんどの国の国境はまっすぐなんでしょう?」って社会科の授業で先生に言われたことがある人もいると思います。
それはヨーロッパ諸国が植民地支配する際に地図上で定規をあてて線を引き決めたから、ということが答え。植民地支配の歴史が地理的にも、言語にも未だ残っています。

【歴史】
言語で少し触れましたがケニアの歴史について。
これは長くなるので政治と絡めてまた今度書きます。



そろそろ字ばっかで飽きてきた…という方がいると思うので研修先について写真いっぱいで書こうともいます!☆

【研修】
そもそもアイセックが運営している研修(インターンシップ)ってなに?って思われる方もいらっしゃると思うので、まず説明します。
研修とは、企業、NGO団体、教育機関で一定期間仕事をさせていただくことです。

アイセックでは、次世代を担うグローバルリーダーの輩出を目的として海外インターンシップを運営しています。日本人の大学生が、世界中さまざまな国に行き、様々な機関の協力により研修を行うことで、自分が世界に与えるインパンクトを考え、研修経験により学んでいきます。

では、私の研修先を紹介します

『Imani children home』 というナイロビ、『カヨレ』というスラム街にある幼児施設で、250人以上の乳児、子供たちが生活しています。

FBページ
→http://www.facebook.com/pages/Imani-Childrens-Home-ImaniKids/98053332697?ref=ts

ホームページ
→http://www.imanikids.org/index.php?option=com_content&view=article&id=43&Itemid=28


か、かわいい…(';ω;`)へへ
是非是非寄付おねがいしますねっ!!!!!



そしてこの施設で生活している子供たちの両親は、犯罪を犯して刑務所に収容されていたり、職を持たずストリートで生活していたり、HIV、薬物中毒といったさまざまな事情から子供を育てることができず、自分の子供を育てることを放棄してしまいました。


私の主な仕事内容は、子ども達の日常世話、自立支援、ソーシャルワーカーの手伝い、創造性を育むための余暇活動や学習の企画・運営です。

こんな感じのところで2か月間働きます!






自分がケニアでこの子どもたちに出来ることはなんなのか、この子たちが将来就職し自立できるためにどのような支援が出来るのか、ケニアの社会情勢や貧困に対して将来的に自分に何ができるのか、日本にこのケニアの現状をどのように伝えるのか、考えながら研修を行おうと思います。

幸い研修先にネット環境があるので、振り返りとして逐一思ったことを更新しようと思います。


それでは!