2012年2月18日土曜日

支援をもとめる形

 


 
アフリカ生活10日がすぎました!
どこでも生きていける私はすっかりその生活にも慣れ()、とてもEnjoy してます!

ではまず、私の研修先で率直に感じたことを紹介します。

Imani baby unit
基本的に0歳から3歳までの赤ちゃんが生活しているのですが、とってもかわいい!
年齢別に4つのグループに分かれています。
仕事は朝8時から16(でも18時近くまで残される…)までしっかりあります!
朝はミルクづくりに始まり
赤ちゃんを起こし、ミルクを与える
そしておまる()につれていき
排泄の処理をします
そして昼ご飯を与えて
おまる()につれていき
昼寝させ
掃除し
赤ちゃんと遊び
いつも間にか夕方になっている感じですw
とにかく仕事が多い!明らかに人手不足です


このImani children house には基本的に、わたしのような「ボランティア」と住み込みで食事つきの職場を求めた「出稼ぎ労働者」と「経営者」が働いています。

Imani children houseKayoleというスラム街にあり、貧困層が生活しています。正直に言うとhomeの外をでると、とてつもなく治安が悪いです。カメラを出して写真を撮ることさえ難しいです。日本人である、ということだけで凝視されものを売りつけられたり、バックを引っ張られたりします。

「どこまでも、どこまでも広がるスラム街」エバリンという名の出稼ぎ労働者の女性はこう述べていました。スラム街では仕事も食事もない、でもこのhomeに来れば仕事もあるし食事もついてる、だからわたしはここで働いているの、と述べていました。


「どこまでも広がるスラム街 Kayole







「カメラを向けるとポーズをとってれる子供たち☆」






Imani children houseはケニアだとわりと有名な乳児院で、多くの人が視察し、援助しに来ます。

なかでも考え深かった話をひとつ
スーツを着た男性二人組がカメラを持ってImani children Houseにやってきました
そこでDirectorの女性(ここを総括している人)が彼らを案内していたのですが
我々職員に放った一言が…


「あの痩せた、エイズの子を連れてきて」
運ばれてきたのは
管を通され見るからに痩せ細った子供

それをひたすら写真に収めるスーツの男性
そして自分たちは慈善活動をやってるんだ、と力説するdirectorの女性

なんかこれって違うんじゃないかと
わたしは思うわけです

でもこれって先進国が行っている慈善活動の姿勢の縮図だと思うんですよね
飢えたこどもたちのポスターをはって支援を求め、私たちはこんなに素晴らしいことをやっている、だから支援すべきだと。

まさによくある手法ですよね

この人たちかわいそうでしょ?だから私たちが助けなきゃ、という慈善という名目の裏に隠された醜い感情。もちろん私が発展途上国の支援にかかわりたいと思って研修に参加した動機の裏に、このような感情が隠されているのは否めません。

ケニアの乳児院で研修し、あらためて「支援を求める形」を考え直す必要がある、と痛烈に感じました。

世界が当たり前のように支援しあえる世の中になったらいいのにな、と現実的にはあり得ない構想しかできずに自分の無力さを感じる今日この頃です。
ただ労働するだけでなく、Imani children house の経営方針や「支援を求める形」にどうやって自分が変革をもたらすことができるか、ということが、いま自分が解決できる直近の課題なのかもしれません。

次は、スラムをみて自分が実際に抱いた感情について書こうかと思います